アーカイブ:2013年 11月
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第39回 アルゼンチンの国技パト
騎馬で戦う競技にアルゼンチンのパト(Pato、「アヒル、鴨」)がある。ガウチョが村の広場で二組に分かれ、皮袋に入れた鴨を奪い合う簡単な競技だが落 馬で死傷者が出たため歴代政権はたびたび禁止令を出したという。戦後のペロン大統領の時代に国技となる。ポロ(アルゼンチンでも盛ん)のルールを採用し安 全な近代的スポーツに生まれ変わった。詳細を見る -
第38回 パンパのガウチョ
日本の2倍はあるパンパ(大草原)ではガウチョ(スペイン人と原住民の混血児)が野生化した牛を追って暮らしていた。彼らの生活習慣はガウチョ文学に見ることが出来る。長編叙事詩“Martin Fierro”は第2の聖書と呼ばれるほど国民に親しまれ、小学生は詩の一部を暗記させられるという。詳細を見る -
第37回 ブエノス・アイレスの石畳
アルゼンチンは建国以来ヨーロッパを見て暮らしてきたせいかブエノス・アイレスには石畳の道「Calles adquinadas」がたくさん残っている。アカシアやプラタナスがトンネルを作る 石畳の道には情緒があり、雨の日に石畳の道を歩けば表の喧噪を忘れポルテーニョ(porteño 「ブエノスっ子」)気分に浸れる。情緒あふれる石畳の道だが車道としては最低で、車線が引けず滑りやすく雨の日にはブレーキが利きにくい。詳細を見る -
第36回 タンゴの生い立ち
アルゼンチン観光の目玉はタンゴである。タンゴショーを見るためにヨーロッパからも観光客が直行便で訪れる。タンゴは1880年ごろブエノス・アイレスの 港町(Boca)に住む貧しい移民のダンスとして生まれた。男女が密着して踊るため娼婦のダンスだと軽蔑されたが、パリで好評を得たことで生まれ故郷の評価が変わった。詳細を見る -
第35回 アメリカに見るスペイン語地名 3
アパラチア山脈を越えManifest Destiny「明白なる運命」を掲げて領土拡張を正当化した米国は米墨戦争に勝ってついに西海岸まで達した。メキシコが平和条約に署名したころ、 Sacramento(カリフォルニア州都)の山間部で金が発見された。カリフォルニアにはスペイン語地名が数えきれないほど残っている。詳細を見る -
第34回 アメリカに見るスペイン語地名 2
ツーソン(Tucson)の南、メキシコと国境を接するところにNogales(くるみの木)という町がある。隣接するメキシコ側の町も同じく Nogalesなので紛らわしい。アメリカ人は自国側に車を止め、歩いてメキシコ側に渡り土産物を買い、食事をして手軽な外国観光気分を味わっている。詳細を見る