第64回 数々の映画に登場するチリ独裁政権

映画で描かれる歴史は少なくないが、南米の独裁政権について繰り返し描かれる時代がある。それはの1973年9月に南米チリで発生した軍事クーデーターとその後である。

1970年、チリでは大統領選挙が行われてアジェンデ大統領を首班とする世界初の民主的選挙によって社会主義政権が誕生した。アジェンデは帝国主義からの独立、自主外交、外交関係の多様化、キューバとの国交回復、鉱山や外国企業の国有化、農地改革により封建的大地主の解体など改革を行ったが、同時に外貨を使い果たしハイパーインフレを招いていた。また米国はCIAを使いデモ工作を行い、物資不足から政権への信頼が揺らいでいた。

そうした混乱の最中。1973年9月アメリカの後援を受けたピノチェト将軍らはクーデターを起こし、宮殿を攻撃、降伏を拒否したアジェンデは自害。チリの民主体制のは崩壊し、軍事独裁政権が誕生した。ピノチェト政権の治安政策は苛烈を極め、アメリカの技術的なサポートの下、コンドル作戦と呼ばれる殺人と情報交換を含めた政治的な抑圧が秘密警察などによって実施された。

人権団体の調査によれと、約30,000人のチリ人が作戦によって殺害され、数十万人が各地に建設された強制収容所に送られ、国民の1/10に当たる100万人が国外亡命したという。軍事政権は経済的自由主義、国営企業の民営化、物価の安定という3つの主たる目標に向け、新自由主義経済政策を導入し、ノーベル経済学者のミルトン・フリードマンの誇る「チリの奇跡」を生み出した。しかしながら、新自由主義政策は一部の者にのみ富を集中させただけで、貧富の差は急激に拡大し、アジェンデ政権期のような極端な物不足はなくなった代わりに、輸入品が国内に雪崩れ込み製造業が壊滅。貧困率がアジェンデ政権下の2倍に達したほかハイパーインフレも深刻が深刻化。

ピノチェトによる独裁政治とアメリカ式経済が敷かれている間、後見人とも言える米国は、1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わるまで、ピノチェトやチリ国内を見て見ぬ振りを続けた。しかし、アルゼンチンとボリビア(1982年)や、ウルグアイ(1985年)、ブラジル(1985年)と周辺各国が民主化する中で、一向に権力から離れず人権侵害を行うピノチェト軍事政権は国際的な批判を呼び、1988年のピノチェト信認選挙で敗北し、1989年12月に行われた総選挙でも保守で反ピノチェト派が僅差でピノチェト派の候補に勝利したことにより、1990年、チリは17年ぶりに民主的な文民政権に移管することになった。

このピノチェトの軍事政権下の様子については様々な映画の題材となっている。ここに有名なものを紹介しておく。

ミッシング(1982):実際に行ったアメリカ人青年の失踪をモデルにした作品で、チリの政権が戦車と銃器により攻撃された様をドキュメンタリータッチで描いた作品。カンヌ国際映画祭最高賞受賞、アカデミック脚色賞。

サンチャゴに雨が降る(1975):外国人記者の回想という形でアジェンデ大統領当選からクーデターに至る様子が描かれる。

マチュカ~僕らと革命~(2004):軍事クーデターに翻弄される少年の成長の物語で革命とクーデータに揺れるサンチアゴを子供の目から描く。

愛の奴隷(1994):アジェンデのいとこの娘の原作で軍事独裁政権下のチリを舞台に、育ちのよい美しい娘と真実を追求する青年との危険な恋を描いたドラマ。アントニオ・バンデラス、ジェニファー・コネリー主演。

NO(2012):チリのパブロ・ラライン監督のピノチェト独裁政権三部作の最後の作品で、1988年のチリを舞台とし、ピノチェト独裁政権の是非を問う反対派のキャンペーンの様子と独裁政権終焉を描く。主人公でCMの広告マンは人気俳優のガエル・ガルシア・ベルナル。

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