第65回 サッカー戦争(1)

スポーツは代理戦争などと言われることもあるが、1970年7月エルサルバドルとホンジュラス間で行われたサッカー戦争とは本物の戦争である。

背景には両国の国境線問題、移民問題、貿易摩擦などさまざまな要因がある。エルサルバドルとホンジュラスは隣り合う国だが、国境の起点となる川が乾季と雨季で大きく変動し、未確定な部分が存在した。1961年と67年に死者の出る戦闘があり緊張状態が高まっていた。

ホンジュラスは国土の狭いエルサルバドルからの移民を受け入れ、移民に無償で土地を供与していたが、ホンジュラスの人口増加、労働需要の激減、農地不足などからエルサルバドル移民への反発が強まっていた。

またエルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、グアテマラ、コスタリカの5国は1961年に中米共同市場を発足させ工業化を推進。工業立地については5か国で公平に配分する取り決めとなっていたが、加盟国間の対立と外資の圧力もあり工業化の進んでいたエルサルバドル、グアテマラ、コスタリカに工業地が集中。国民の多くは貧困層だったエルサルバドルは加盟国で最も恩恵を受け、ホンジュラス側は不満を抱くようになっていた。

ホンジュラスのアレジャーノ大統領が実施した農地改革法では、国境未確定地に居住していたエルサルバドル人を退去させ、ホンジュラス人を入植させようとするものであった。この政策はちょうど1970FIFAワールドカップ(メキシコ開催)の開催時期に執り行われる予定であった。

中米の代表選出のため行われるFIFAワールドカップ北中米・カリブ予選でエルサルバドル、ホンジュラス代表はトンに1次ラウンドを突破し、準決勝で対戦することとなった。1969年6月8日、ホンジュラス代表がエルサルバドル代表を首都テグシガルパで下したが、エルサルバドル代表の宿泊するホテルと取り囲み昼夜問わず騒ぎ立て、同代表を疲弊させていた。またエルサルバドルでは熱狂的な女性ファンが自殺している。

第2選の6/15、今度はエルサルバドルの首都サンサルバドルで行われた、ホンジュラス代表の宿泊するホテルを群衆が襲い、ホンジュラス代表サポーターはエルサルバドルの暴徒により死亡。同じく疲弊したホンジュラス代表は試合に敗れエルサルバドルが勝利し、プレーオフに持ち込まれた。

6/26の夜、エルサルバドル政府はホンジュラスに在住するエルサルバドル人を迫害しているとして国交断絶を宣言。ホンジュラス政府もこれを受け国交を断絶し、国防上の対処を行うと発表。そんな中、6/27には第3戦がメキシコシティで行われた。最終戦はメキシコの機動隊を配置するなど物々しい中で執り行われ、試合は延長戦の末、エルサルバドルが3-2で勝利、決勝ラウンドへ進んだ。

その先に待っている戦いはスポーツの戦いではなかった…

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