第66回 サッカー戦争(2)

1969年6月26日のFIFAワールドカップの予選で勝利したのはエルサルバドルだった。しかし本当の戦争はサッカーの予選後に待っていた。

同年7/3、ホンジュラス空軍がエルサルバドル国境監視所を爆撃し、エルサルバドル軍はこれを迎撃。7/9にはエルサルバドル陸軍がホンジュラス内の村を襲撃、ホンジュラス陸軍と衝突しエルサルバドル兵が死亡。

南北アメリカの国々の平和と安全保障・紛争の平和解決を担う国際機関である米州機構を介した外交交渉が行われる中、エルサルバドル軍はホンジュラスに在住する自国民の保護と緩衝地の占領を目的としてホンジュラスに侵攻を開始。

ホンジュラス空軍はエルサルバドルの主要な港湾都市を攻撃、制空権を維持する一方、地上軍では米国の第二次世界大戦時の装備を配置したエルサルバドル軍が攻勢を続けた。ホンジュラス国内に侵攻したが、ホンジュラス空軍の石油貯蔵施設の攻撃により侵攻の停止が余儀なくされた。

米州機構が派遣した平和維持委員会は、ホンジュラス側が「エルサルバドル軍がホンジュラス領内から撤退する」との条件付でエルサルバドルとの停戦に応じることを承諾したと発表したが、エルサルバドル側は停戦に応じる様子はなく、ホンジュラス軍に対し「降伏を選ぶか死を選ぶか」と要求するなど強硬な姿勢を見せる。

ホンジュラス政府もラジオ放送を通じて「エルサルバドルの戦略拠点に対する空爆を継続中である」との声明を発表。7/18に両政府関係者と平和維持委員会との間での交渉により和平案について合意したと発表したが、エルサルバドル側は占領地域からの撤退を拒絶する声明を発表。しかしホンジュラス領内に留まった場合、米州機構の規定に基づき同国に対する軍事的および経済的な制裁措置を採ることも辞さないとの警告を受け占領した地域からの撤兵を発表した。

その後、ホンジュラスの移民はエルサルバドルに引き上げ、極左ゲリラや軍部と結びついた右翼勢力が台頭。中米で最も安定した国家と呼ばれたエルサルバドルは政情が激しく悪化し、内戦が激化した。約12年にわたって続いた内戦の犠牲者は7万5千人にも上る。

ホンジュラスはナショナリズムが台頭、中米では大規模な内戦が勃発したが、アメリカの軍事的支援もありホンジュラスが巻き込まれることはなかった。しかしニカラグアの反革命勢力の拠点ともなり、エルサルバドル軍の支援を行ったアメリカへ反米感情が高まっていった。

1980年、アメリカ政府が両国に圧力をかけたともいわれているが、ペルーの首都リマにてエルサルバドル、ホンジュラスの両国は国交を回復している。国際司法の場により2006年、両国の国境問題が終結した。強硬な姿勢を見せ続けたエルサルバドルであったが、その失ったものは計り知れない。

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