Isabel II, Isabel María Luisa de Borbón

第38回 イサベル2世の時代


Isabel II, Isabel María Luisa de Borbón

1833年にフェルナンド7世が死去すると、その娘3歳のイサベルが女王になることが宣言され、母マリア・クリスティーナが摂政に就いた。ブルボン家がスペイン王位についた18世紀初頭、女性の王位継承を禁じるサリカ法が導入されていた。しかしながら、イサベルが生まれた1830年、フェルナンドは議会によってサリカ法を廃し、ブルボン朝以前の王位継承法を復活さていた。

議会はイサベルの即位を絶対君主制を覆し、カディス憲法と議会に基づく政府を実現する機会ととらえ、摂政マリア・クリスティーナを支持し、復古的な絶対王政を主張するカルロスおよび貴族や教会など彼を支持する勢力(カルリスタ)に反対した。これに対して、1883年にカルリスタは武装蜂起、のちにカルリスタ戦争と呼ばれる内乱が勃発した。

カルリスタは独自の統治機関や軍隊を有し、スペインを席巻。一時期は国土の3分の1までを勢力下に置き、1837年にはマドリード攻略を試みたほどであった。しかしながら、内部分裂を起こし勢力を減じた結果、1839年にイサベル派に降伏。これによりイサベルの王位が確定した。

この内乱の最中、自由主義政府は法的・制度的に旧体制とは決別し、自由主義国主義体制を実現させた。全国を49県に区分し、異端審問を完全に廃止、限嗣(げんし)相続制(世襲財産相続)の撤廃、領主制の廃止、そして1837年には新憲法が制定、二院制が採用され、ヨーロッパ諸国の立憲君主制に近づくこととなった。

カルリスタ戦争終結後、1840年に進歩党を率いるエスパルテロ将軍によるクーデターが起き、マリア・クリスティーナは摂政を辞任して亡命。翌年エスパルテロが摂政に就任。彼は教会財産の国有化や自由貿易など急進的な政策を推し進めたが、1843年にはマリア・クリスティーナ派によるクーデターにより解任され、亡命を余儀なくされた。

イサベル2世は1843年から1868年まで親政を摂っている。43年から54年までの穏健党政治が実現したが、その後軍や党派、近臣間の対立により幾度ものクーデターや陰謀が繰り返された。限定的にだがカタルーニャ地方では工業化の進展などが見られたものの、イサベル2世の治世は伝統的な貴族が新興地主、銀行家などブルジョワジーと政治的な妥協を行いつつも、支配階級にあり続けた時代であったとも言えよう。

イサベル2世の気まぐれな政治や外交の失敗などで不満が高まる中、1868年、カディスで反乱宣言がなされると、各地の部隊はそれを支持し、大都市では民衆が蜂起した。これにより自由主義連合や進歩派による新政府が誕生、イサベル2世はフランスに亡命し、臨時政府を樹立した。混沌とした時代は続く。

(発行人)

こんな記事も読まれています