Plaza de la Constitucion (Zocalo)

第39回 ラテンアメリカの独立


Plaza de la Constitucion (Zocalo)

18世紀後半、アメリカ合衆国の独立し、ヨーロッパでフランス革命とこれに続くナポレオン戦争が起こると中南米でも独立の動きが活発になった。スペイン本国の弱体化も拍車をかけ、1830年ごろにはスペイン領有であった主要な地域はカリブ海諸島やフィリピンなどを除き、独立を宣言または達成している。それぞれの地域がどのような動きを見せていたか見ていこう。

1789年、フランスでフランス革命が起こると、革命の影響で1791年にハイチで反乱が発生。この内乱は1804年にハイチのフランスから独立につながり、ここに初の黒人による共和国が誕生した(ハイチ革命)。

折からスペインによる貿易の統制を嫌い、自由貿易を求めていたアメリカ大陸生まれたの白人達(クリオージョ)は、フランス革命の自由主義思想、植民地であるハイチの独立、スペインの混乱に触れ、スペインからの独立の機運を高めていた。

本国であるスペインがナポレオンに屈してフランスの傀儡王朝が誕生し、またナポレオンの大陸封鎖令によって南北アメリカと宗主国との連絡が一時的に途絶えてしまう。これにより南アメリカでの自立化が促された。イスパノアメリカのベネズエラ、エクアドル、ボリビア、コロンビア、アルゼンチン、チリ、メキシコなどでは、1809年から1810年にかけてクリオージョの大地主と貿易商人が主導権を握ってナポレオンに服属したスペイン政府からの自治を宣言。

独立運動はスペインによる監視の弱かったアルゼンチンやベネズエラを中心に進み、南米大陸北部では、シモン・ボリバル、フランシスコ・デ・ミランダら、南部ではホセ・デ・サン=マルティン、ホセ・アルティーガス、ベルナルド・オイギンス、メキシコではミゲル・イダルゴ、ホセ・マリア・モレーロスらクリオージョ達が主導となった。

とりわけ注目したいのはシモン・ボリバルのボリバル主義である。ボリバル主義とは米国を抜きにしたラテンアメリカの諸国の統合または連帯の考え方のことで、1819年から1830年までベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルが一体となった大コロンビア共和国が成立した。南米大陸の独立運動は南部のサン=マルティンの主導した1821年のペルー独立以降、北部のボリバルによって引き継がれ、1825年にボリバルやアントニオ・ホセ・デ・スクレによってボリビアが独立したことにより終焉した。

一方、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の独立運動は趣を異にしている。クリオージョの司祭であったミゲル・イダルゴは先住民族やメスティソ(混血)の農民らの生活改善から植民地政府に対して独立を目指していた。彼は1810年に蜂起したものの、すぐに鎮圧され処刑されたが、各地で反乱は相次いだ。続くホセ・マリア・モレーロスはスペインからの独立と共和国建設を掲げていたがこれも鎮圧。

しかし、1820年のスペインでのリエゴ革命(自由主義運動)によって軟化した本国政府の自由主義的態度を嫌ったメキシコの保守的なクリオージョ支配層は、保守支配を続けるために1821年にメキシコ帝国を建国し独立。そしてメキシコ独立に倣い中央アメリカでも1823年に中央アメリカ連邦(グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドル)が独立した。

イスパノアメリカ諸国は共和政を採用したが、現在のラテンアメリカ諸国の大枠は1830年代にほぼ出来上がっている。1828年のウルグアイの独立、1830年の大コロンビアの崩壊により、ベネズエラ、エクアドル、ヌエバ・グラナダ(現在のコロンビア)の誕生、1838年の中央アメリカ連邦の分裂などである。20世紀に入り、パナマがコロンビアから独立、キューバとプエルトリコ、フィリピンはスペインの植民地支配が続いたが、米西戦争でそれぞれを失い、キューバは1902年に独立。ここにスペインのカリブ・中南米の植民地支配は完全崩壊した。

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