第41回 革命と内戦のスペイン


2週に渡って南アメリカの独立運動を見たが、再びスペインに目を向けよう。

1843年から1868年までのイサベル2世の治世は自由主義の原理を経済において適用させながらも、経済発展に伴い生じる社会問題を放置し、一定の財産を有する者だけに選挙権を与え民衆を支持から排除した。市民は議会を国民のものとは考えず、特権階級のものとみなしていた。さらに1860年代になるとイサベルは強権的な穏健派を登用し反対派を弾圧。1868年、カディスで反乱宣言がなされ、民衆が蜂起するとイサベルはフランスに亡命し、スペインでは臨時革命政府樹立された。

革命で誕生した政府は安定しなかった。民衆は社会改革を求めていたのに対して、政府を構成した自由主義連合や進歩は政治の民主化を考えたに過ぎなかった。また対外戦争や内乱により、政権に大きな負担がかかっていた。すでにスペインの植民地の大部分では独立が完了していたが、独立をしていなかったキューバでも「10年戦争」と呼ばれる戦いが勃発。また国内ではイタリアのサヴォイ家からアマデオ1世(1870-1873)が国王として迎え入れられたが、それに対して「外国人国王」反対の運動が大きくなった。

こうした危機の中、政権内での対立も激しくなっていた。1873年にアマデオ国王は退位し、共和政の国家が誕生した。しかしながら、王政の崩壊により生まれた政体に過ぎず、基盤は脆弱なものであった。内乱やキューバ戦争の目処が立たず事態が混乱する中、軍はクーデターにより議会を閉鎖。1974年には王政復古を求めるクーデターが起こり、イサベル2世の子アルフォンソ12世が即位した。

「雨降って地固まる」ようにアルフォンソ12世の王政復古は安定した政治をもたらした。1976年に公布された憲法では、カトリックを国教としながらも、信仰の自由を認め、保守党と自由党が交代で政権を担うシステムが採用され、特定党派の権力独占は防がれた。アルフォンソ12世は27歳の若さで急逝したがこうした危機ものち超えることができた。1890年には男子普通選挙制度が導入されたが、支配力の強い地方の政治的なボスにより統制される選挙システム(カシキスモ)であった。

1898年、スペインの王政復古を揺るがす大事件が起きた。米西戦争である

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