第42回 二流国家への転落


スペイン帝国の地位は19世後半には失墜し、植民地として有するのは西インド諸島、太平洋諸島、アフリカのごく一部に過ぎなかった。キューバはコロンブスの発見以来、長らくスペイン領として存続してきたが、1868年に独立運動が起こると鎮圧はされたものの、90年代にホセ=マルティを指導者とした独立運動が再び活発となっていた。そして1895年に共和国として独立を宣言したが、キューバ独立を認めないスペインとキューバの砂糖資源に投資していたアメリカが対立。1898年、ハバナ港でアメリカの軍艦メイン号が爆沈して多数のアメリカ兵が犠牲となったメイン号事件をきっかけにアメリカはスペインに宣戦を布告した(メイン号事件は米国の謀略説もある)。米西戦争の勃発である。

西インド諸島およびフィリピンで戦闘となり、その結果短期間で米国が勝利した。スペインはそれまで有していたキューバ、プエルトリコ、フィリピン、グアムなどを失い、多くをアメリカが領有することとなった。今なお米国がキューバ上陸の際の上陸地点であるグアンタナモは永久租借地として米軍基地として用いられている。

米西戦争の敗北によりスペイン帝国は完全に崩壊した。スペインは植民地を失ったために国力が低下し新興国家のアメリカにあっけなく敗れたことから欧州での国際的地位も発言力も同時に失った。米西戦争の敗北はルネサンス期から始まったスペインの帝国主義が破綻し、産業革命に支えられた新しい帝国主義へ完全に移り変わった瞬間でもあった。かつての日の沈まぬ帝国は「二流国家へ転落」したとして多くの知識人に衝撃を与え、スペイン国内では政治の刷新が強く求められることとなる。

しかしながら、敗戦は政治的危機ともならず、経済的打撃も小さかった。むしろ植民地問題の負担から解放されて体制は安定することなる。その一方でカタルーニャやバスク地方の地域ナショナリズムがはっきりと台頭してきた。この地域ナショナリズムはやがて国家への対立として現代にも続くこととなる。

よい兆候もあった。19世紀末から20世紀にかけて長期に渡るヨーロッパの大不況が終わり、経済的な成長が再び開始されていた。特にカタルーニャのバルセロナでは都市開発は活況となった。サグラダ・ファミリアに見らえるアントニオ・ガウディの作品が多く生み出されたのもこの時期である。繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルが長年ガウディのパトロンであったが、こうした経済的活況がなければ世界遺産であるガウディの建築は成り立たなかったであろう。

経済の発展はスペイン国内分業を強化することとなる。カタルーニャの軽工業、バスクの重工業、カスティーリャの小麦栽培、アンダルシア地方のオリーブオイルといった具合に各地域の経済が特化していくのもこの時期である。1910年代から20年代、スペインは第一次世界大戦で中立の立場を取ったことから、スペイン経済は戦時好景気に沸き、累積していた貿易赤字を一挙に解消するに至った。しかしながら、経済的発展は労働者や都市部の中間層を増やし、ロシア革命の勃発は労働運動や地域ナショナリズムの運動を勢いづかせることとなった。

2大政党と地域の政治的ボスが管理する選挙システム(カシキスモ)が支えてきた王政復古体制であったが、1923年に起こったモロッコ民族運動軍に対する敗北により、反体制派は国王に対する責任追及にも及ぶこととなった。1923年9月、プリモ・デ・リベラ将軍はクーデターに成功し、憲法を停止、議会を解散させて軍政を敷く独裁政権を樹立した。
(発行人)

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