第44回 スペイン内戦1


1936年に誕生した人民戦線の内閣(共和国政府)に対してクーデターを準備していた右派は1936年7月、モロッコのメリリャで蜂起した。それに呼応して左派政権に不満を持つ右派勢力が反乱軍としてスペイン全土で蜂起。のちの最高権力者フランコ将軍もモロッコで指揮を取っていた。

短期間でスペイン全土を制圧して、共和国政府を倒せると見込んでいた反乱軍であったが、政府から武器を供与され武装した労働者の抵抗を受け、マドリッド、バルセロナ、バレンシアなどの主要な都市ではいずれも政府軍が反乱を鎮圧。反乱には軍隊の将校と兵士の多くが加わったが、地域によっては半分程度にとどまるなど地域差が見られた。

クーデターは失敗に終わり、政府軍とクーデターを興した反乱軍との戦いは泥沼化、国土を二分する内戦へと発展していった。モロッコの反乱軍を指揮していたフランコ将軍はヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニ率いるイタリアの両国に支援を要請し、独逸からは戦車部隊、空軍、戦艦、軍事顧問の派遣、イタリアからは4個師団からなる航空部隊、海軍部隊、支援物資を受けている。そしてドイツ・イタリアの支援要請の功績と人望の厚かったモラ将軍が事故死したこととよりフランコ将軍は反乱軍の最高権力者に昇ることとなる。

一方、共和国政府もフランスに武器の売却要請をした。しかし内戦への関与が欧州大戦につながることを恐れたフランスはスペインへの武器輸出と内政干渉を禁じる協定を各国に呼びかけた。ドイツ、イタリアはこの協定に参加したものの、順守をするつもりはなく、積極的に反乱軍への支援を続行。フランスやイギリスが静観を決め込み、スペイン政府軍が窮地に立たされる中、救ったのはソビエト連邦だった。スペインにファシスト政権が誕生することは戦略的に好ましくないうえ、社会主義の盟主を自認するソ連にとって見過ごすことはできなかったのである。

スペイン政府はイギリスやフランスからの支援は受けることができなかったが、共和国支援のため反ファシズムを掲げた義勇軍が世界から駆けつけた。アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイやフランスのアンドレ・マルロー(ドゴール政権の文化相)、ノーベル文化賞受賞者のロマン・ロラン、イギリスの詩人W・H・オーデン、スティーブン・スペンダー、ジョージ・オーウェルら著名な作家や知識人が共和国を支援した。ヘミングウェイやアンドレ・マルロー、ジョージ・オーウェルらは従軍し義勇兵として戦っている。この時の経験が活かされた小説、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」はスペイン内戦が舞台である。

反乱軍は継続的かつ計画的にドイツ・イタリアの支援を受けていた。政府軍はソビエトの支援があったとはいえ、指揮系統が統一されず、思想的にも共和主義を標ぼうとする者から共産主義者、無政府主義者まで混在し、また職業軍人の指示を聞かない労働者民兵が政府軍には多く含まれおり、次第に軍事力の高い反乱軍に追い詰められていく。1937年4月にはバスク地方のゲルニカがドイツ・イタリア空軍の爆撃と機銃掃射により絨毯爆撃に遭った。アラゴン地方のベルチテは激戦により完全に廃墟となった。ドイツ空軍による史上初の絨毯爆撃に抗議したピカソの大作「ゲルニカ」はあまりにも有名。

フランコは軍主導で新国家建設を準備、カトリック教会の支持も取りつけ、1937年4月にはすべての政党を解散して新しい政党に糾合し、その党首となった。フランコは軍・政府・政党を掌握し、独裁体制を築いていく。

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