第51回 テオティワカン・サポテカ


ここからは古代メキシコ文明で主要なものを見ていきたい。

テオティワカン
世界遺産にも登録されている古代メソアメリカの都市遺跡、それがテオティワカンだ。テオティワカンはメキシコシティの北東に位置し、最盛期である200~550年には12万から20万もの人口を抱えるアメリカ大陸最大の都市であった。

碁盤の目状の都市と大小合わせて600ものピラミッドが立ち並ぶ姿は今なお驚嘆に値する。後にこの地の支配者となったアステカ人はすでに無人の廃墟と化していた都市を見て、ナワトル語で「神々の場所」を意味するテオティワカンとこの地を名付けた。

テオティワカンはいまだに解明されていないことがたくさんあるが、マヤ文明と比べても中央集権的な政治組織、経済組織、多くの人口を誇ったが、その一方で文字、記号、地名、暦、神々の名前などわずかなものしか確認されていない。高度に発達した文字を持たずにアメリカ大陸最大の都市を築き上げたいまだに謎の多い文明である。

メキシコを訪問した際にはぜひこの巨大遺跡を訪問していただきたいが、じっくり見学すると丸一日かかる。太陽のピラミッド、月のピラミッドを自分の足で登るだけでも価値がある。

サポテカ文明
サポテカ文明(前500年~800年)の中心地であるモンテ・アルバンもテオティワカン同様、世界遺産に登録されている先古典期・古典期の古代文明である。メキシコのオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10kmに位置し盆地の底から400m登った山の頂上にある政治・軍事・宗教の中心都市である。

モンテ・アルバンは非常に乾燥した山頂の土地であり、明らかに農耕や生活に不適切な場所である。水や食料は輸入せざるを得ない土地であるが、天然の要害で交通の要衝であった。山頂は神々に近いため神聖な場所であったとも考えられるが、一説によると先古典期中期から後期にかけてのオアハカ盆地の勢力争いの激化が原因ともされる。

現在残っている建造物は、古典期に相当するものがほとんどだが、「踊る人々の神殿」はサポテカ文字とともにマヤにも受け継がれることになる点と棒表記の数字が暦と思われる表記とともに刻まれている石碑も見られる。また「踊る人々」の石彫からはモンテ=アルバンの支配者によって捕虜にされて拷問にかけられたり、殺害された首長や王たちの姿が推測される。このような石彫を刻むことによってモンテ・アルバンの支配者の権力を誇示し、正当化する意味があったのだろう。モンテ・アルバンの人口は紀元前100頃には1万7000人、オアハカ盆地全体では、5万人に達したと推定されている。

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