第54回 アンデス文明


これまでメソアメリカ文明を駆け足で見てきたが、古代アンデス文明についても見ていきたい。

古代アンデス文明とは何を指すだろうか。1532年のスペイン人によるインカ帝国征服以前に、現在のペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明を言う。アンデス文明の中心地帯は、主に海岸、山間盆地、高原地帯に分かれる。アンデスの先住民族は海岸の砂漠を灌漑により耕地へ作り替え、盆地では集約農業を行い、海抜3000メートル以上の高山地帯で数百万人が生息するという世界的にも特異な環境を築き上げた。

南米大陸に人類が住み始めた痕跡を示す遺跡で最古のものは1万4000年前にさかのぼる。狩猟採取の生活であったが、紀元前5000年頃から農耕・牧畜を行う社会となり、さまざまな植物の栽培が試みられるようになっていった。紀元前800年頃から北部のアンデス高地でチャビン文化が発達するようになる。これ以降、チャビン様式がアンデス北部に影響するようになる。

紀元頃になると、ペルー北海岸、現在のトルヒーリョ市周辺にモチェ文化と現在のナスカ市周辺にナスカ文化が勃興。海岸地帯では灌漑水路が発達してる。ペルー山間部では700年頃になるとワリ文化が発達し、都市的な様相をなす建造物群が各地に造られる。ワリ文化がアンデス中にテラス状の段々畑(アンデネス)を広げたと言われている。「正面を向いた神」「首級を持つ翼のある神」といったモチーフが土器や織物を媒体にして、ペルー全域に広まっている。現在のボリビアの高原地帯では、紀元前後頃から紀元400年頃にかけてティワナク文化が興り、紀元1100~1200年頃まで続く。

ペルーの北海岸では、8世紀頃からラ=レチェ川流域にシカン文化、9世紀後半頃からモチェ川流域にチムー王国が興る。チムー王国は14世紀頃までにシカンの国家を併合。ペルー中央海岸地帯、現在のリマ市北方のチャンカイ谷では人型を模した素焼きの土器で有名なチャンカイ文化が花開く。さらに10世紀頃にはリマ近郊のルリンにあるパチャカマ神殿を中心とするパチャカマ文化が花開く。ティティカカ湖沿岸では、ティワナク文化が崩壊した後、アイマラ族による諸王国が対立し、覇を争うようになる。

最後にペルー南部の山間部にあるクスコ盆地でインカが勃興。インカ帝国は15世紀前半から急速に勢力を拡大して各地を征服、アイマラ族の争いを利用して、両者を征服、さらにティティカカ湖南岸のパカヘなども征服し、チムー王国も屈服させ、1470年ころまでにティティカカ湖沿岸を平定。アンデス一帯に広がるインカ帝国を成立させる。

諸王国をまとめる形で最終的にインカ帝国が誕生した。その領土は、北は現在のコロンビア南部から、南はチリのサンティアゴまでにわたるアンデス文明圏のほぼ全域を押さえた最後の先住民国家であった。首都はクスコにあったが、インカはこれまでのアンデス文明の集大成とも呼べるものであり、インカ独自に開発したものよりも、むしろそれまでの技術を継承して発達させた部分が多い。

新大陸の文明は、旧大陸の文明と異なり、独自に発達してきた文明である。旧他陸の影響を受けず、独力で築き上げてきたその文明の成り立ちは、人類の歴史において壮大な箱庭的な壮大な実験だったともいえる。次に上げるように旧大陸の文明と比べ、かなり特色を持つが、王や皇帝を頂点とするピラミッド型の社会構造を持つという点ではアンデス文明は旧大陸の文明と似た様相も持っていた。

アンデス文明の特徴は大きく分けて次の7つある。
1.文字を持たない。
2.青銅器段階。
3.金や銀の鋳造が発達。
4.家畜飼育が行われていた。
5.車輪の原理を持たない。
6.塊茎類を主な食料基盤。
7.アンデス特有の生態学的環境と文化・文明の発展に深い関係。

次回はインカ帝国の盛衰について掘り下げてみたい。

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