第55回 インカ帝国


南米古代文明として最も名高いのはインカ文明であり、その遺跡のマチュ・ピチュではないだろうか。古い文明と思われている方もいるかもしれないが、世界の歴史の中では比較的新しい文明である。

インカ帝国はペルー、ボリビア、エクアドルを中心にケチュア族が作った国である。インカ帝国の前身となるクスコ王国は13世紀に成立、1533年にスペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロらに滅ぼされるまで存続した。

インカとはもともとクスコに住んでいた小さな部族の名称という。その部族が中心となって後に帝国が建国されたが、当時皇帝の命令によって、インカと同じ言語を使用していたものを、すべて「インカ」と呼ばれることになったが、スペイン人が侵入してきて、この意味をさらに拡大し、帝国そのもの、またはスペイン的でないものすべてを「インカ」と呼んだ。

アンデス文明は文字の記録がないためその起源が明確ではないが、ケチュア族の中のインカ部族が12世紀ごろに中央高原地帯のクスコに移住し、小規模の都市国家を築いていったと考えられている。「インカ帝国」と言っても、当初は部族の集団であったが、9代目の皇帝により版図が広がりアンデスの広域を支配す「帝国」となった。

インカ帝国では宗教と政治が一体化しており、太陽信仰が国家の基本である。皇帝は「太陽の子」または太陽の化身として統治するという「太陽の帝国」であった。またインカは平等の考えに基づいた社会で全ての人民が、生きるために働かねばならず、貴族ですら見本を示したという。またインカでも太陽信仰に絡み生贄を捧げるという風習もあったようだ。

アンデス文明の中でも繁栄していたインカ帝国であったが、 その滅亡はあっけないものであった。ピサロ率いるスペイン軍は、歩兵110名、騎兵76名、火縄銃13丁などで武装し、1532年11月15日、皇帝アタウワルパの大本営のおかれたカハマルカに入った。キリスト教の布教のための平和使節であると称したピサロは皇帝に服従しない部族の征服に協力を引き受けたが、キリスト教に改宗すること迫られたことに起こった皇帝は聖書の一部を破り捨てた。その瞬間、広場の周囲に隠れていたスペイン兵が一斉に射撃を開始し、広場で待機していた武器を持たないインディオを次々と射殺した。捕らえたアタウワルパを形ばかりの裁判にかけ、皇位の簒奪、公金の浪費、偶像崇拝、近親婚(妹を皇后にしていた)、姦淫(一夫多妻)などの罪名で火あぶりの刑にすると判決した。

インディオは火あぶりにされた者の魂は神のもとに行くことができないとされていたため、絞首刑になることを望んだアタウワルパは死の直前にキリスト教に改宗し、フランシスコという洗礼名を与えられて処刑された。その後、ピサロは傀儡皇帝マンコ=インカを立てる一方、金銀の略奪や神殿の破壊を行った。逃亡した皇帝はインカの反乱を起こし抵抗したが1572年には最後の皇帝もスペイン軍に捕らえられインカの皇統は完全に途絶えることになる。

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