Gibraltar

第8回 アル=アンダルスのスペイン


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7世紀末から西ゴート王国は内部から崩壊し始めていた。西ゴート王国最後の王、ロデリック(ロドリゴ)が即位すると、反ロデリック陣営はジブラルタル海峡の対岸の街セウタの総督フリアンを通じて、当時北アフリカを東ローマ帝国から奪い、ベルベル人の住むモロッコを支配しつつあったイスラム王朝に援軍を求めた。

フリアンはロデリックに娘が凌辱されたことに怒りイスラム軍と同盟を組んだと伝えられているが、反ロデリック陣営は自分たちが引き込んだのが、果たして自分たちがどれほど強大なイスラム世界を引き込んだのか理解していたのだろうか。

ウマイヤ朝北アフリカ総督ムーサ―配下の軍人のターリク・イブン・ズィヤードは7000人の軍を率いてジブラルタルから上陸。711年に西ゴート王国のロデリックをグアダレーテ河畔の戦いで打ち破り、西ゴートを王国を滅ぼした。714年にはピレネー山脈、バスク地方、アストゥリアス地方、カンタブリア地方などスペイン北部を除き、スペインの大部分はイスラム世界に組み込まれることとなった。

余談だが、ターリク・イブン・ズィヤードの上陸した地点は彼のアラビア語の名前にちなんで、アラビア語でジャバル・ターリク(「タリークの山」の意味)と名付けられた。スペイン語のジブラルタルの語源と言われる。

そして西ゴート王国滅亡後、かつてゲルマン系ヴァンダル族が支配し、Vandalicia(ヴァンダル人の国)と呼ばれたいた地域がアラビア語でAl-Ándalus(アル=アンダルス)と呼ばれるようになり、アンダルシア地方を中心としたイスラム勢力支配下のイベリア半島をアル=アンダルスと呼ばれるようになった(Al-はアラビア語の定冠詞で固有名詞化する言葉)。

戦いに敗れた西ゴートの王族は完全に滅亡したのだろうか? 西ゴートの王族貴族らや一部のキリスト教徒は北西部のアストゥリアス地方に逃れれ、在地のアストゥリアス人とアストゥリアス王国を718年に建国した。のちのレオン王国、そしてカスティージャ王国(カスティリャ)の元になる。
(発行人)

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