Mezquita in Cordoba

第9回 波乱万丈のイスラム総督


Mezquita in Cordoba

711年にウマイヤ朝のターリク・イブン・ズィヤードがイベリア半島に上陸し、1492年にグラナダが無血開城しナスル朝が滅亡するレコンキスタ完了までの780年間、スペインはイスラム世界の支配を受けることになる。これよりしばらく月とコーランが支配したスペインの歴史にお付き合いいただきたい。

750年、イスラム教の開祖であるムハマンドの叔父のアッバース家の子孫をカリフ(最高指導者)としたアッバース朝が中東でウマイヤ朝を打倒した。単なる王朝の交代ではなく、イスラム世界における反体制諸勢力やシーア派などウマイヤ朝の支配に不満を抱く人々を広く巻き込んだ運動に発展し、アッバース朝の成立によりイスラム世界に変革がもたらされたことからアッバース革命という。

滅亡したウマイヤ朝に話を戻す。ウマイヤ朝の都、ダマスクスも陥落し、王族のほとんどが徹底的に殺害されたが、この時にかろうじて難を逃れたアブド・アッラフマーン1世はシリアからモロッコまで逃走した。彼は名前を変え、女装までして逃亡に及んだという。母方のベルベル人の血を受け継ぐ彼は金髪で緑の瞳を持っていたというが、モロッコではベルベル人の協力を得ることになる。そして司令官や総督を意味するアミールとしてイベリア半島に上陸し、ムサラの戦いを経てコルドバに後ウマイヤ朝を開いた(756年)。

アッバース朝の調略を受けた反乱を抑え、指揮官の首を塩漬けにしてアッバース朝第2代カリフのマンスールに送りつけ、また国内では安定化を図るため後ウマイヤ朝に反抗的な勢力を徹底的に弾圧した。弾圧に反発した勢力がフランク王国のカール1世に援軍を要請し、ウマイヤ軍も窮地に陥ったが、フランク王国内での反乱により、王国軍は徹底、ウマイヤ軍は難を逃れた。

アッラフマーン1世は反対勢力を徹底的に弾圧する一方、半分モスクであったコルドバにある西ゴート王国の聖ビセンテ教会を王宮に隣接するモスクとして建設工事を開始した。現在、コルドバにある世界遺産であり、のちに西方イスラム世界最大のモスクに発展したメスキータの原形である。

アブド・アッラフマーン3世まで後ウマイヤ朝では、カリフ(最高指導者)を称さずアミールのままで統治したのはわけがあった。アッバース朝カリフを認めたものではなく、複数のカリフがイスラム世界に存在することは、その統一を損なうものであるという考えであり、イスラム世界全体の正統なカリフは存在しないという立場でアミールと称し続けた。やがて後ウマイヤ朝はアッバース朝に匹敵するほどの繁栄の時代を迎えることになる。
(発行人)

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