Golden Tower in Seville

第11回 繰り返される衰退と滅亡


Golden Tower in Seville

976年、後ウマイヤ朝の第3代カリフ(最高権力者)、ヒシャーム2世は父であるハカム2世が亡くなり、わずか11歳でカリフを継いだ。幼いカリフを政治的に支えるため、父の代のカーディー(イスラム世界の裁判官)であるイブン・アビー・アーミルが後見人となり、アル・マンスール(勝利者、神の助けを受ける者)の地位に就いた。

若い王と野心的な後見人の末路は相場が決まっている。カリフは傀儡となり、後ウマイヤ朝において宗教的な役割を果たすだけの存在となる。アル・マンスールは軍事機構を改編し、レオン王国を服従させ、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の襲撃、略奪、破壊を行った。マンスールの息子も同じく最高権力者として統治したが、カリフの位までも要求し、政治的・社会的混乱を引き越した。継承争いでたった29年の間に10人のカリフが即位するという内憂、アラゴン王国・カスティーリャ王国に圧迫されるという外患(レコンキスタ)の末、1031年に最後のカリフ、ヒシャーム3世の廃位の末、1031年に後ウマイヤ朝は崩壊した。

ウマイヤ朝崩壊後、アンダルシアの各地に20以上のムスリムが支配する小王国(タイファ)が誕生した。第1次タイファ時代と呼ばれ、12世紀に北アフリカのサハラ砂漠、モロッコ、アルジェリアを支配していたムラービト朝がアル・アンダルスを支配するまで続くことになる。

セビリアの世界遺産で華麗な王宮として知られるアルカサルはタイファの一つであるアッバード朝セビリア王国の王宮に由来している。タイファ諸王国は対立、抗争を繰り返す一方、イベリア半島ではキリスト教スペイン諸国によるレコンキスタ運動が活発化。次第にアンダルスの政治的・軍事的優位性は失われていくことになる。

1085年にはイベリア半島の中央部に位置するトレド王国(タイファの1つ)がカスティーリャ王国により陥落した。このトレド攻略はレコンキスタの中でも重要な節目の一つとして考えられる。トレド陥落を機にタイファ諸王は北西アフリカを支配していたムラービト朝に軍事的支援を求めることになる。 ムラービト朝の軍事支援の下、トレドを攻略したアルフォソ6世は戦いで敗れはしたものの、トレドは守り抜いている。

タイファ諸王国を併合したムラービト朝はサハラ砂漠からマグリブ地方、アンダルシアを支配する一大帝国を築く。しかしながら、キリスト教徒とへ柔軟な対応を求めるアンダルス人の支配層と聖戦意識の強いベルベル人支配層が対立。そしてムラビート朝もまたイスラム改革運動を基盤として興ったムワヒッド朝に1147年に滅ぼされると、イベリア半島は再び諸王国が乱立する(第2次ターイファ時代)に突入することになる。
(発行人)

こんな記事も読まれています