la Alhambra

第13回 花開くイスラム建築の結晶


la Alhambra

イスラム王朝は壮麗な建築をスペインに残している。中でも最も有名なものがアルハンブラ宮殿と言っても異論はないだろう。

1212年のナバス・デ・トロサの戦い(キリスト教連合国とムワッヒド朝率いるイスラム連合国)でイスラム連合国が敗北して以降、アンダルスへのキリスト教連合国の侵攻が強まるとともにムデハルと呼ばれる人々が生まれた。

”ムデハル”とはキリスト教徒に再征服された地域におけるイスラム教徒の呼称である。当初はイスラム教徒の信仰の自由と自治権を認められていたが、13世紀後半に起こったムデハルの反乱以降、イスラム教徒からキリスト教徒に改宗するモリスコとしてその地域に留まるか、ナスル朝グラナダ王国に移住するかという選択を強いらることになる。

この移住の選択先として挙げられたナスル朝グラナダ王国とはどんな国だろうか?アルハンブラ宮殿を建築したことでもよく知られるナスル朝グラナダ王国は、ムワヒッド朝がアンダルスから撤退したのち、1232年にグラナダを王都として樹立されたイスラム諸王国(タイファ)の一つである。

13世紀前半には多くのイスラム王朝がキリスト教勢力に降伏する中、ナスル朝は規模は小さかったものの、巧みな外交戦略により生き残っていくことになる。初代君主ムハマンド1世はその宗主権を有力なイスラム王朝(アッバース朝、ムワッヒド朝)に変えつつも、その一方でカスティージャ王国フェルナンド3世のコルドバ征服に協力したり、ハエン周辺の国土を割譲したりと、キリスト教国家の封建的家臣という立場も取った。

ナスル朝グラナダ王国は13世紀後半になると北アフリカ・マグリブ地方のマーリン朝とカスティージャ王国との間で巧妙な外交戦略を取り、王国の存続を図ってきた。しかしながら、14世紀に入りこうした綱渡り的な外交は北アフリカのマーリン朝の弱体化に伴い、単独でキリスト教勢力と対峙しなければならなくなってきた。

もはや存続は難しいと思われた14世紀半ば、ヨーロッパ全域をペスト(黒死病)が襲うことになる。これにより、カスティージャ王国も大きな打撃を受け、カスティージャ王国の内紛、アラゴン王国との対立などにより、ナスル朝は生き延びることとなる。キリスト教国家の混乱をよそに、ジェノバの商人を介した国際貿易の進展、アンダルス各地のムスリムの流入により、国力を蓄えることになった。黒死病は人類にとって悪魔的病であったが、ナスル朝にとって神風であったと言えよう。

14世紀半ばから14世紀末まではグラナダ王国は最も安定した時期であった。14世紀後半に在位したムハンマド5世は軍事的に重要なジブラルタルとアルヘシーラスの奪回も実現させている。同時に父ユースフ1世から続いていたアルハンブラ宮殿の増改築も積極的に推し進め、アルハンブラ宮殿で現存する最も有名な建造物の一つである「ライオンの中庭」「二姉妹の間」「ヘネラリフェ離宮」などアルハンブラ宮殿における美しいイスラム建築も両王の時代に生み出されている。政治的・軍事的・経済的な安定があったからこそ、あの精密かつ壮麗な宮殿が出来上がったのであろう。

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