Alhambra, Granada

第14回 イスラム=スペインの最期


Alhambra, Granada

14世紀後半、ムハンマド5世の治世の下、壮麗なアルハンブラ宮殿と共に大いに栄えたナスル朝であったが、15世紀に入ると有力なイスラム国家の支援もなく、カスティージャ王国とアラゴン王国が接近し、両国の対立を外交戦略で利用することが困難になる。ポルトガルのセウタ占領により北アフリカ貿易も低迷。グラナダの国際貿易において大きな役割を果たしてきたジェノバ商人も撤退をし始めた。内政面でも王族を巻き込んだ貴族間の政治闘争が続き不安定となる。

15世紀後半に在位したナスル朝君主アブルハサン・アリーは一族内での権力確立や軍の再編成を通じ、衰勢するナスル朝の勢力回復を目指したが、国内の政治的混乱や国際情勢は悪化の一途をたどることとなる。1482年は反乱により国から追われた父アブルハサン・アリーの息子で、スペイン=イスラム最後の王として知られるボアブディル(アブー・アブドゥッラーの訛り)ことムハマンド12世がグラナダを奪ったため、国が二分されることとなる。

ナスル朝は主要都市が次々とキリスト教勢力に攻略されるなか、1491年、カスティージャ王国イザベル1世とアラゴン王国フェルナンド2世の率いる連合国により包囲され、翌1492年1月2日にグラナダは無血開城し、ナスル朝は滅亡することになる。ここに約800年間続いた、レコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)が完了することになる。

この無血開城時の有名なエピソードをご紹介してイスラム世界の終焉としたい。

グラナダ開城後、ボアブディル王は母アイシャと共に、グラナダを離れる途中、かつて栄華を極めたグラナダを一望できる丘から街を見渡し涙した。その息子に対して母は 「男として国を守り切れなかったからには女のように泣くがいい」と言い放ったという。彼女が君主だったらもう少し滅亡は先になったかもしれない。

ボアブディル王はモロッコのフェズに亡命する一方、アンダルスのイスラム教徒は信仰の自由が認められたムデハルとして在留することとなる。しかしながら、まもなくキリスト教への改宗を余儀なくされ、その多くはモリスコ(元イスラム教徒のキリスト教徒)としてスペインに在留した。
第8回から第14回までイスラム=スペインの歴史を見てきたが、イスラム世界の影響はスペインの歴史とは切っても切り離せない。スペインは800年近くもイスラム教徒と時には手を携え、そして戦ってきたのだから。

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