Cathedral of Leon

第16回 キリスト教スペイン諸国の新たな勢力図


Cathedral of Leon

キリスト教連合国も決して一枚岩ではない。

レコンキスタの先鋒として領土を拡げていったアストゥリアス王国は910年に拠点をスペインの北西部にあるレオンに遷都しレオン王国と名乗る。レオン王国の最前線は「城」を意味するカスティーリャ(カスティージャ)と呼ばれていたが、レオン王国はカスティーリャ伯爵領を設置した。

しかしながら、力を持った配下のカスティーリャ伯フェルナン・ゴンザレスはレオン王国の王位を要求。カスティーリャ軍に追われたレオン国王サンチョ1世は後ウマイヤ朝に王位復帰後に領土の割譲を約束して援軍を引き出すことに成功し王位に復帰。しかし後ウマイヤ朝との約束をご破算にし、ウマイヤ朝の怒りを買い、その結果キリスト教連合国は大敗し講和することになる。一方、カスティーリャ伯フェルナン・ゴンザレスは961年には事実上独立することになる。レオン王国は次第に力を弱めていくことになる。

1029年カスティーリャ伯が暗殺されると、伯爵の妹を妃にしていたナバラ王サンチョ3世はカスティーリャ伯領をナバラ王国に併合した。サンチョ3世がなくなると長男がナバラ王国を継承したが、ナバラ王国カスティーリャ領を相続したフェルナンド1世はカスティーリャ王を名乗り、1037年にはレオン王国を破り、カスティーリャ=レオン王国を誕生させ、1085年にはアルフォンソ6世が西ゴート王国の首都であったトレドを奪還することになる。

ナバラ王サンチョ3世は現在のスペイン・アラゴン州(カタルーニャ地方とバスク地方中間))を庶子ラミロ1世に与えている。彼は1037年にラミロ1世はアラゴン王国を成立させた。その100年後、バルセロナ伯とアラゴン国王女の結婚によりカタルーニャ・アラゴン王国(アラゴン王国だけとも呼ばれることがある)が誕生することになる。

11世紀後半には後ウマイヤ朝が崩壊し、キリスト教スペイン諸国の軍事優位が進み、レコンキスタ運動は勢いを増すことになる。とりわけカスティーリャ=レオン王国とアラゴン連合王国を軸とした新たな勢力図がイベリア半島に描かれていく。

こんな記事も読まれています