Cathedral La Seu de Palma de Majorca

第19回 地中海帝国のアラゴン連合王国


Cathedral La Seu de Palma de Majorca

レコンキスタのキリスト教勢力を語るうえで欠かせない国の一つがアラゴン王国である。アラゴン王国は11世紀にナバラ王サンチョ3世は息子たちへの領土割譲に端を発する。アラゴン王国は庶子ラミロ1世に与えられた。

12世紀に入り、アラゴン王国のラミロ2世の一人娘ペトロニラ女王はカタルーニャ地方の君主であるバロセロナ伯ラモン・ベレンゲー4世(国王を名乗っていないが、実質的には完全に独立した国家の君主)と結婚したことにより、アラゴン王国とカタルーニャは対等な連合関係を結び、ここに「アラゴン連合王国」が生まれた。ベレンゲー4世とペトロニラとの間に生まれた息子アルフォンソ2世がアラゴン王とバルセロナ伯を兼ねることになるが、アラゴン王国とカタルーニャは言語や法制度を統一せず連合国家として存在することになる。

アラゴン連合王国はレコンキスタ運動を推進する一方、地中海地方への進出を行った。1229年にはアラゴン王でバルセロナ伯のハイメ1世はイスラム教徒の支配するバレアレス諸島、続いてバルセロナの南にあるバレンシア王国を征服。その結果、多数のイスラム教徒やユダヤ人が支配下に組み込まれていった。

続くペドロ3世はシチリア島で勃発した反フランス暴動「シチリアの晩鐘」をきっかけに地中海の要衝であるシチリア併合し、ペドロ3世はシチリア王となる。以降、アラゴン王家の者がシチリアを支配することになる。アラゴン連合王国はイタリアのサルデーニャ島も占領し、その版図に加えていった。

その結果、シチリア島経由でアレクサンドリア(現エジプト)やコンスタンティノープル(現トルコ)との貿易によりアラゴン連合王国は発展し、地中海にさながら「アラゴン帝国」を構築していくことになる。

現在は世界的なリゾート地で有名DJが世界から集いプレイをするバレアレス諸島のイビサ島もアラゴン連合王国が支配した地域だ。歴史に思いを馳せながら観光に訪れてみるのも悪くない。

こんな記事も読まれています