第20回 レコンキスタ完了前のイベリア半島情勢


14~15世紀のイベリア半島に存在した国は主に5つある。

イベリア半島の大部分を支配するようになっていたカスティーリャ王国、地中海貿易で繁栄したアラゴン連合王国、現在のバスク地方にあるナバーラ王国、カスティーリャ王国から分離独立したポルトガル王国、そしてグラナダを中心としたアンダルシア地方の一部を支配するだけとなった最後のイスラム勢力のグラナダ王国の5つである。

カスティーリャ王国、アラゴン連合王国らを前にしてグラナダ王国の存在は風前の灯であったが、14世紀半ばにヨーロッパを黒死病と呼ばれていたペストの蔓延がその命脈をながらえさせることになった。ペストは大幅な人口減少、生産力の低下、賃金や物価の高騰、内乱などを引き起こした。また被害の少なかったユダヤ人へのデマが迫害につながり、反ユダヤ運動を引き起こす結果となった。

少し話を巻き戻す。1230年、カスティーリャ王国がレオン王国と統合されたのち、13世紀に「賢王」アルフォンソ10世が行政・法制から度量衡まで国内の制度を整え(第18回)、続くアルフォンソ11世が「七部法典」の実施を行い内政を確固たるものとする一方で、グラナダ王国の支援を行っていたアフリカのマーリン朝をサラードの戦いで破り(1340)、もはやグラナダを攻略するだけとなっていた。

しかし、14世紀にカタルーニャ地方に上陸したペストはカスティーリャ王国の2割近くの人口を失う結果をもたらし、また王権強化を目指す王族と既得権を守りたい有力貴族との争いはアルフォンソ11世の子・ペドロ1世と庶子エンリケ2世の王位継承権をめぐる戦いへと発展した。イングランドとフランスの支援を受けたことから長期化したが、結局本流ではないエンリケ2世が勝利し、カスティーリャ王国トラスタマラ朝を開くこととなる。しかし、王権の正当性を欠き弱体であったため、ペドロ1世の孫娘を王妃に向かえ14世紀末に正当性を回復させた。

一方、地中海貿易で栄えたアラゴン連合王国も14世紀になり政治的・経済的・社会的な混乱を引き起こしていた。明確な王位継承法が存在しなかったアラゴン連合王国ではアラゴン王マルティン1世が後継者を決めずに没したことにより、カスペの妥協(1412年)と呼ばれるアラゴン王国、カタルーニャ君主国、バレンシア王国の代表による決議による合意の下、カスティーリャ王子でトラスタマラ家のフェルナンド1世が後継者に選出された。政治的危機は回避されたが、社会的・経済的危機はアラゴン連合王国では大きくなるばかりである。

14世紀後半から15世紀にかけて、カスティーリャ王国、アラゴン連合王国はそれぞれの事情でレコンキスタよりも国内の安定化が急務であった。歴史にもしもはないのだが、ペストが発生しなければレコンキスタも100年は早まり、壮麗なアルハンブラ宮殿も建たなかっただろうと思われる。

次回でキリスト教勢力から見たスペインを終えます。

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