第23回 悲劇の狂女王


1516年、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世というカトリック両王の王位を継承したのは、彼らの娘でハプスブルク家に嫁いだ「狂女王フアナ」(Juana la loca)として知られるフアナの息子カールであった。カールはスペイン国王カルロス1世(1516-1556)として、そして神聖ローマ皇帝として「太陽の沈まない国」に君臨することになるが、その前に母フアナの人生を紹介したい。

カトリック両王の次女として生まれたフアナは知性豊かで信心深い女性として育てられた。1496年、ハプスブルク家のマクシミリアン1世の長男フィリップと結婚。フィリップは「美公」「端麗公」と呼ばれるだけあり、巧みな話術に金髪碧眼の美しい容姿であり、フィリップも情熱的なフアナに惹かれたという。2男4女をもうけており決して夫婦仲が悪かったのではないのだろう。しかしながら、元来信心深く真面目なフアナは浮気癖のある夫の不実を許せず、人目をはばからず激昂し、猜疑心に駆られ、次第に精神状態が不安定になっていった。

カトリック両王の子供である兄フアンが結婚後すぐに夭折(1497)、ポルトガル王妃になっていた姉イサベル、その子供ミゲルが相次いで亡くなったことにより、フアナがカスティーリャ王位を継承することになる。1501年、夫フィリップとともにフランドル地方からカスティーリャに渡るが、フィリップはスペインの乾燥した台地と謹厳で信心深い人々を嫌い、臨月の妻を置いてフランドル地方に帰ってしまう。精神的に不安定になったフアナは養育が困難になり、4女で女王となった後に生まれたカタリナ以外は兄嫁や父に育てられることになる。

フアナはイサベル1世が死去すると、カスティーリャ王位に即位。夫フィリップはカスティーリャ王としての共同統治を主張するものの、議会は王の配偶者としてしか認めず、さらにフィリップはカトリック両王と敵対していたフランスに接近したり、フランドルの貴族にカスティーリャの土地を分け与えたりするなど愚行を繰り返し、完全にカスティーリャ国内の貴族を敵に回していた。一方、フアナは夫の愚行に従わず、国内の貴族の支持を得ていた。

1506年、フィリップがスペインのブルゴスで突然死去した。一説によると毒殺とも言われるが真偽は定かではない。夫の死去により正気を失ったフアナは夫の埋葬を許さず、その棺と共にカスティーリャ国内をさまよう。夫が復活するとそそのかした占い師がいたとも言われるが、いずれにしても正気の状態ではなかった。

フアナは父王フェルナンドにより、バリャドリッドのサンタ・クララ修道院に隣接した城館に幽閉された。そして「狂った女」(La Loca)と呼ばれ、1555年にその生涯を閉じるまで40年間、幽閉されることとなる。その間、父王も死去し、長男カールがフランドルから迎えられ、スペイン王カルロス1世として即位したが、フアナは正式には死ぬまで退位を拒み、女王であり続け死後まで「我、女王」(Yo la reina)とサインをしたという。

フアナの病状はかなり波があり、精神状態が良いときは侍従と冗談をかわすこともでき、乗馬も楽しんだという。フアナ狂女王といえば、幽閉された薄暗い城を徘徊する狂人というイメージがあるが、実際は精神疾患や遺伝的な要素があったにせよ、愛情や政治的な思惑のなかで精神に摩耗をきたし、精神状態を悪化させていったと思われる。

カトリック両王の娘として大航海時代の初代スペイン王にもなることができたフアナだったが、市井の人として生まれ、誠実な夫を迎えていたら全く別の人生を送っていたのだろうと思わずにはいられない。

(発行人)

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