Carlos I / Karl V

第24回 スペイン国王兼神聖ローマ皇帝


Carlos I / Karl V

ーデルラント(ベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる地域)の領主フィリップ美公とカスティーリャ女王フアナの長男として生まれたカールはネーデルランドで育った。1516年、彼は祖父でカトリック両王の1人、フェルナンド2世が死去すると、スペイン語を解さないままスペイン国王として、母フアナと共同統治という形でカスティーリャ王・カルロス1世となった。

スペイン国王になるということは、アラゴン連合国、ナバラ王国、グラナダ、ナポリ、シチリア、サルデーニャ、そして次々にスペインが支配していったスペイン領アメリカの統治者になることを意味していた。さらに1519年、父方の祖父である神聖ローマ皇帝でオーストリア大公のマクシミリアン1世が亡くなるとオーストリアをはじめとしたハプスブルク家の領土を継承。そしてフランス王で宿敵であったフランソワ1世を抑えて、神聖ローマ皇帝の選挙に勝利し、カール5世としても即位した。

皇帝選挙のためにカール5世(カルロス1世)は莫大な資金をスペインから持ち出し、慣行を無視してフランドル人の側近を要職に配置したことによりカスティーリャ諸都市の反乱を招いている(コムニダーデスの乱)。武力により内乱を鎮圧したたが、スペインはハプスブルク家の進める戦争の財物の供出を余儀なくされ、南アメリカから収奪された金銀はハプスブルク家の利害のために使われることとなっていく。。。

カール5世は統治と戦争、そして各地を旅した生涯ともいえる(スペインには併せて17年しか滞在していない)。特にフランス国王フランソワ1世・アンリ2世との戦争を繰り返すこととなった。フランスとの戦いであるイタリア全土を戦火に投じることになったイタリア戦争(スペイン・ハプスブルク家とフランス・ヴァロア家の戦い)、マルティン・ルターの宗教改革とプロテスタントへの対応、反皇帝同盟・シュマルカルデン同盟との戦い、ドイツ農民戦争、スレイマン1世率いるオスマン帝国との戦いなどヨーロッパの覇権を巡る闘争に追われる人生だったとも言えよう。

フランス、ポルトガル、イギリスを除いたヨーロッパの大半を相続などにより手中に治めたカール5世だったが、晩年になりネーデルランドのスペインおよびフランスからの分離独立を認めている。また1550年にはアメリカ先住民族の地位とインディオ問題をめぐる審議会を開いている(バジャドリッド闘争)。先住民への不当な行為の撤廃を目指した当時のヨーロッパとしては画期的な審議会であり、この背景には自らの危険も顧みずインディオ保護のため行動し続けたセビリア出身のカトリック神父バルトメロ・デ・ラス・カサスの尽力が大きい。

王侯貴族が占める家族に生まれたカール5世は一概にどの国の人かと一言では言い難い。父方はドイツ、フランドル、母方はカスティーリャ、アラゴンであり、フランス語を母語として、パリをこよなく愛し、政治的にはフランス王と対立している。カール5世の残した言葉で有名な言葉がある。
「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、ドイツ語は馬への言葉」
しかし実際に不自由なく話せたのはネーデルランドの言葉で母語であるフランス語と本格的に学習し、使用したスペイン語ぐらいであったという。

これはカトリック教会が強大な力を持っているスペインにはスペイン語、女性が宮廷内で力を持っていたイタリアにはイタリア語、母語であり親しい腹心との言葉であったフランドルの男たちにはフランス語、そして皇帝軍の中核を占める軍隊=馬にはドイツ語といったように、それぞれの背景に根差した言葉で語ったところに、元来人の良い性格だったというカールの一端がうかがえるのではないか。

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