PhilipII of Spain

第25回 太陽の沈まない国


PhilipII of Spain

陽の沈まない国として、スペイン帝国が絶頂期だった時の国王は誰であろうか? それはスペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の息子フェリペ2世である。彼の治世下でスペイン帝国はヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアに及ぶ大帝国を支配したが、いったいどのようなものであったのだろうか。

1556年、父カルロスの退位によりオーストリアを除く領土を受け継ぎ、フェリペ2世として即位した。一方、オーストリア大公でドイツ王となっていた叔父のフェルディナントは皇帝を継承し、ハプスブルク家はスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分化した。

広大な世界を支配したスペイン帝国であったが、遍歴の国王と呼ばれヨーロッパを駆け回った父カルロスと違い、フェリペ2世は宮廷をマドリッドに定め、郊外にエル・エスコリアル修道院を作り、この宮殿から世界へ命令を発した。ほとんどが宮殿にこもって政務に専念したため「書類王」という異名を取るほどであり、フェリペ2世はヨーロッパでは革新的だった官僚主義的な書類の決裁制度を作り上げた。

フェリペ2世はもともとアラゴン王国にあった副王制度を用いて帝国全土を統治した。ヨーロッパではアラゴン、バレンシア、カタルーニャ、サルデーニャ、シチリア、ナポリおよびポルトガル(1580年 – 1640年)などに副王をおき、新大陸に置いてはスペイン上流貴族らを副王に選定。それまではコンキスタドールと呼ばれる新大陸発見の探検者たちに統治をゆだねていたが、封建君主のような存在であったため、カルロス1世の代から副王の統治機構に組み込まれていった。

フェリペ2世のもう一つの側面として挙げられるのは熱心なカトリック教徒であったことだ。カトリックによる国家統治を理想とし、オーストリア・ハプスブルク家がプロテスタント勢力に迎合したことに強い不満を持っていた。フランス国内で起こったカトリックとプロテスタントの戦いであるユグノー戦争にはカトリックを支援し干渉し、また支配していた地域において異教徒に対する厳しい弾圧の姿勢は彼らの反発を引き起こし、プロテスタントが多く占めるネーデルラントの反乱を招いている(オランダ独立戦争)。

その一方で1571年にはオスマン帝国との決戦であったレパントの海戦に勝利し、地中海の覇権を握り、1580年にはポルトガル国王も兼任し、イベリア半島の統一とポルトガルが有した広大な領土も獲得した。新大陸、フィリピン、ミラノ公国、フランス東部のフランシュ=コンテ、サルデーニャ島、シチリア島、ナポリ王国、ブラジル、アフリカ南西部、インド西海岸、マラッカ、ボルネオ島という広大な領土を支配し、まさに「太陽の沈まない国」と形容される一大帝国を築き上げたのだ。1584年には日本からやってきた天正遣欧使節を歓迎している。

新大陸からは大量の貴金属や特産品がもたらされ大いに繁栄をしたが、そのほころびは見え隠れしていた。上述したように1581年にはネーデルラント北部諸州はフェリペ2世の統治権を否認する布告を出し、そのネーデルラントを支援しているイングランドをたたくために無敵艦隊を派遣した。しかし1588年にドーバー海峡で戦われたアルマダの海戦でスペインは敗北。軍事費増大による国庫の圧迫、それにともなう増税、さらにはペストの流行など、スペインの短い最盛期はフェリペ2世が亡くなるころには終わろうとしていた。

(発行人)

こんな記事も読まれています