第29回 残虐行為の告発


スペインが国家を挙げて植民地の獲得と領土拡大を行う中、フランシスコ・ピサロやエルナン・コルテスらの数多くのコンキスタドール達はスペインの尖兵となり、富を求めて先住民族に対して不正行為と残虐な行為を行った。そんな中、1人のスペイン人がスペイン支配の不当性を告発した。彼の名はバルトロメ・デ・ラス・カサスである。

スペイン・セビリア出身のラス・カサスは彼の父がコロンブスの新大陸の探検に参加し、自身も1502年、イスパニョーラ島に滞在し、先住民族と入植者の戦いを目撃、鎮圧軍にも加わっている。その後、スペインへ戻り司祭職を志し、ドミニコ会の修道士としてカリブ海やメキシコでキリスト教の布教に努めていた。

1512年、キューバ島征服軍の司祭として従軍していたラス・カサスは先住民族に対する拷問や虐殺を目の当たりにし、熟慮の末、自身が所有していた奴隷を解放し、エンコミエンダ制と呼ばれるスペインによる植民地制度の矛盾を糾弾した。1515年にはスペインの時の権力者シロネス枢機卿にエンコミエンダ制の廃止、インディオ虐待の停止、平和的キリスト教の布教を提案している。

ラス・カサスはカルロス1世にも謁見する機会を得て、王から暴力的行動の禁止と平和的植民飲のみを許可する勅令を得ることができたが、これを実践しようとするラス・カサスに対して新世界のスペイン人たちから反感が強まる結果となった。命の危険を感じたラス・カサスは修道院にかくまわれることとなる。

ラス・カサスはインディオに対して地道な平和的布教に取り組む一方、「インディアス史」の執筆も開始している。スペイン本国に各地で行われた先住民への待遇や征服を批判してきたが、やがて徐々に評価され、1537年には教皇パウル3世のインディオ奴隷化禁止の勅令を取り付けている。

再びスペインに戻ったラス・カサスの報告を聞いたカルロス1世は1542年、バリャドリードでインディアス評議会を招集、植民地政策の抜本的見直しと先住民族の保護を検討することを決めた。この時に大きな影響を与えたのがラス・カサスの「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」である。討論の末、評議会は先住民の保護とエンコミエンダ制の段階的廃止をうたった「インディアス新法」を公布した。新法の施行に際して、植民者たちの激しい抵抗の結果、エンコミエンダ生の廃止は先送りになった。

ラス・カサスは晩年まで執筆活動や啓蒙活動に精力的に取り組んだ。また先住民族の権利保護のロビーも行い、「インディオの保護者」として奴隷制度の不当性を主張している(若き日には黒人奴隷もやむなしとしたことへ後悔を述べている)。

ラス・カサスの死後、著作は意図せぬ形で用いられた。それは敵対する諸国によりスペインの残虐性からスペイン全体へ非人間的であるという攻撃材料として使われるようになり、スペイン国内ではラス・カサスは国の誇りを失墜させた裏切り者とみなされるようになった。19世紀から20世紀になり、ラス・カサスは先住民の解放者として高く評価されるに至っている。

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