Francisco de Xavier

第30回 フランシスコ・ザビエル


Francisco de Xavier

日本を初めて訪れたスペイン人は誰かご存じだろうか。

それはイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(ハビエル)である。
彼はスペイン北東部に位置するナバラ王国の地方貴族の家族の下に生まれたがイエズス会の宣教師となった。日本に来日したのはフェリペ2世がスペイン国王として在位する少し前の1549年のことである。彼は日本に初めてキリスト教を伝えたことでも非常に有名であるが、ザビエルは来日する前にはインドのゴアでも宣教活動を行い多くの人々をキリスト教に導いていた。

なぜ日本にザビエルはやってきたのだろうか。それにはある日本人との出会いがあった。1547年、若いころに殺人を犯し、ポルトガル船に乗ってマラッカに逃れていた鹿児島出身(大隅国または薩摩国)のヤジロウ(アンジロウ)は罪を告白するためにザビエルを訪ねてきたという。ザビエルの導きでインドに送られたヤジロウは日本人として初めてキリスト教徒としての洗礼を受けた。やがてヤジロウの話す日本と彼の人柄からザビエルは来日して活動を決意したという。

ザビエル一行は1549年8月に鹿児島に上陸し、薩摩の守護大名・島津貴久に謁見、宣教の許可を得た。しかしながら、仏僧の助言を聞いた島津氏は禁教に傾き、また周防の大名・大内氏からは男色を大罪とするキリスト教の教えを説いたことで怒りを買い(当時の日本では同性愛が公然と行われていた)、京都へ上京することとなる。日本の国王としての天皇と足利将軍家への謁見を希望したが、献上品がなかったため断られている。再度、珍しい品々を携え足利義隆に謁見し、信仰の自由を得ている。実はこの時の献上品に日本初の眼鏡があったと言われている。

ザビエルは日本で積極的な活動を行ったが、2年後の1521年、インドに戻っている。ザビエルは日本での布教のためには影響の大きい中国での布教が不可欠と中国を目指したが、入境が思うように行かず、 中国の南部の島である上川島で46歳で亡くなっている。日本のキリスト教の歴史を語るうえで欠かせないザビエルだが、死後1619年に聖人として列聖されている。

ザビエルは日本人について「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」の中でこう記している。「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」

余談であるが、ザビエルが日本を離れたのち、ヤジロウは布教活動から離れ生業の海賊業に戻り中国付近で海賊に殺害されたという。波乱万丈の人生を送った人だったのだろう。。。

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