Carlos II

第33回 スペイン継承戦争と「スペイン」の誕生


Carlos II

フェリペ4世の息子カルロス2世がスペイン国王となったのは1665年のことである。カルロス2世は生来病弱でいくつもの病気を患っていたと言われる。末端肥大症で肉体的にも知的にも障害があったとされるが、これはハプスブルク家の何代にもわたる近親婚の影響と考えられる。性的にも不能と推測されるカルロス2世は2度の結婚でも子供を持つことは能わず、やがて精神疾患を悪化させることとなる。

周辺各国ではカルロス2世の子孫が望めないことを見越していた。ブルボン家・フランス王ルイ14世は孫で王太子アンジュ―公フィリップを推していた。またフェリペ3世の次女マリア・アンナの子でオーストリア・ハプスブルク家で神聖ローマ皇帝レオポルド1世も王位継承者の候補となっていた。

このように各国の思惑が交錯する中、1700年、カルロス2世は39歳の若さで亡くなった。遺言にはアンジュー公に王位を譲るとされ、アンジュ―公がスペイン王フェリペ5世として即位した。スペインを事実上獲得したルイ14世はフェリペ5世のフランス王位継承権を手放さないことを表明、スペインの貿易特権をフランスに譲らせ、スペイン領ネーデルランド(ベルギー)へフランス軍を駐屯させた。これに対しイギリスやオーストリアは猛反発、イギリス、オーストリア、オランダはフランス、スペインに対して宣戦を布告した。スペイン継承戦争と呼ばれ、ヨーロッパ諸国を巻き込んだ戦争に発展した。

1701年から1714年まで続いたスペイン継承戦争でフランスは各地で敗戦を重ねたが、反フランス同盟は足並みの不一致から全面的な勝利を収めることができなかった。特にオランダは、フランスの軍事的な強大化を恐れる一方で、フランスとの経済関係が重視されていたため、完全に敗北させることを望んでいなかった。結果、反フランス同盟の最大の目的であったフェリペ5世のスペイン王位継承は阻止することができなかった。しかしながら、この戦争で17世紀のルイ14世のフランス軍の覇権は抑えられ、ヨーロッパの国際関係は新時代を迎えることになった。

スペイン継承戦争、続く四か国同盟戦争の結果、ネーデルランド、シチリア島、ナポリ、サルデーニャ島などの領土が失われたが、スペイン・ブルボン家最初の国王となったフェリペ5世は戦後、中央集権化を推し進めスペインにあったそれぞれの王国の議会など地方の機関と特権の廃止、連合王国の中心であったカスティーリャの法律に一本化することを明言。徴兵制の実施、連隊制度を導入、海軍の強化など軍事面での改革も進めた。名実ともに「スペイン」が誕生したのがフェリペ5世の治世からだろう。

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