Miguel de Cervantes

第34回 黄金世紀が生んだ不撓不屈の人


Miguel de Cervantes

スペイン黄金世紀を支えたハプスブルグ家はカルロス2世ののちに途絶え、18世紀よりスペイン・ブルボン朝の歴史が始まる。しかしその歴史を紐解く前にスペイン黄金世紀が生んだ数々の不運に負けなかった文豪を紹介したい。

スペイン黄金世紀を厳密に定義できないが、15世紀から17世紀にかけてが一般的だろう。この黄金世紀の間、スペインでは現代でも語り継がれる多くの文学、芸術、音楽などの面でも巨匠を生み出している。ベラスケス、エル・グレコ、ムリーリョ、フランシスコ・デ・ケベードなど枚挙に暇がないが、今なお誰もが知る人は「ドン・キホーテ・デ・ラ・ラマンチャ」の著者ミゲル・デ・セルバンテスだろう。

1547年にマドリッド郊外で生まれたセルバンテスは大変な読書好きの少年だったものの、耳の不自由な外科医の父に従い、家族が各地を転々とする生活から教育をきちんと受けることができなかったと言われている。そして若かりし頃にナポリでスペイン海軍に入隊。当時はスペインが誇る世界最強の海軍である。

スペインがオスマントルコに勝利したレパントの海戦(1571)では左腕と左胸に被弾し、左手の自由を失いながらも従軍(生涯左手の自由は利かなくなった)。レパントの海戦の勇士としてようやく本国へ帰還する最中、北アフリカで海賊に襲われ捕虜の身となる。その後、5年間も捕虜(司令官の推薦状があったため奴隷として売り飛ばされることは免れたが、家族に支払うことのできないような莫大な身代金を要求される)の生活を送り、その間に4回脱獄を企てるもすべて失敗。キリスト教の慈善団体に身請けされてようやく本国に戻ったが、士官を願うもかなわず、初の小説を出版するも評価をされなかったという。

一家を支えていた父親が亡くなると、姉、妹、妻、姪、娘(私生児)の6人家族となり家計は逼迫。無敵艦隊の食料調達係の職を得るも、教会から食料を徴発したかどで投獄され、その翌年には無敵艦隊がイングランドに破れ、その職も失う。再び徴税官の職に就くも、税金を預けていた銀行が破産し、負債として30倍の追徴金を負わせられ、未納のためセビリアで投獄。この投獄期間中に「ドン・キホーテ」を構想したという。

セルバンテスが58歳の1605年、マドリッドで「ドン・キホーテ・デ・ラ・ラマンチャ」が出版されると大評判になり版が重ねられた。しかし版権を安く売り渡してしまったため、生活面の向上は得られなかったという。もはやその程度で心が折れる人ではなかったのだろう。その後も次々と作品を発表し続け69歳でマドリッドの借家で亡くなっている。

「ドン・キホーテ」は聖書に次ぐベストセラーとされ、17世紀から現代に至るまで多大な影響を与えている。同時期のシェイクスピアも読んでいたと言われ、ロシアの文豪ドストエフスキーは「ドン・キホーテ」をもって「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、ここに見事にえぐり出されている」「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しい」と評している。

2002年にノルウェー・ブック・クラブにより世界54カ国の著名作家100人の投票で選ばれた世界最高文学100選とされるThe 100 Best Books of All Timeでは、「ドン・キホーテ」は見事に1位の作品としても選出されている。セルバンテスの名前はスペイン語圏で非常に大きな意味を持ち、スペイン語圏のノーベル文学賞に相当するセルバンテス賞は、ガルシア・マルケスやバルガス・リョサなど世界的な作家が受賞している。

高尚になってしまった「セルバンテス」と「ドン・キホーテ」の名前だが、ドストエフスキーが言うようなそこまで堅苦しいものではないように思える。数々の苦難と長い間の不遇を過ごしながらも、あきらめず常に希望を持って生きてきた男が老境に達したがゆえにわかる、人間の心理に精通した最上のエンタテインメントとも言えるのでないだろうか。今日ではスペインの過去のいかなる王侯貴族以上に後世に名前を残したミゲル・セルバンテスだが、著作の中でも多くの名言も残している。波乱万丈の人生を送った男の言葉と思うと、また違った聞こえ方がしてくるのではないか。 ごく一部をここに紹介する。

・命あるかぎり、希望はあるものだ。
・お前が誰と一緒にいるか言ってみな。そうしたら、お前がどんな人間か言ってやる。
・「そのうちやる」という名の道を歩いて行けば、「何もしない」という名札のかかった家に、行きつくことになる。
・どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。 救いのない運命というものはない。 災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。
・人生は1枚の銀貨のようなものだ。それをどう使おうと勝手だが、 使えるのはたった1度きりである。
・富を失うものは、多くを失う。友人を失う者は、さらに多くを失う。しかし、勇気を失う者は、全てを失う。
・裸で私はこの世に来た。裸で私はこの世から出てゆかねばならぬ。
・正直は最高の良策。

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