Carlos III

第35回 啓蒙時代の君主


Carlos III

ペイン継承戦争(1701-1714)の後、スペイン王室はブルボン家となり、フェリペ5世はこれまでのスペインのあり方を変えた。戦争で多くの領土を失ったものの、アラゴン連合王国の特権を廃止し、スペインの法的・政治的制度を中央集権化させた(戦時中、彼を支持したナバラ・バスク地方の特権は維持)。中央機関に外務・法務・財務・陸軍・海軍を担当する5つの省庁を設置し、裁判・行政分野ではカスティーリャ語(スペイン語)の使用を強制とした。徴兵制の実施、連隊制度を導入など軍事面の改革も行い、こんにちの「スペイン」はフェリペ5世をもって誕生したと言えよう。

1746年、フェリペ5世の跡を継いだのは「慎重王」と呼ばれた次男のフェリペ6世である(長男は即位後すぐに死去)。中立外交の堅持、税制・財政の改革、海軍の増強、道路などのインフラ整備、王立サン・フェルナンド美術アカデミーの設立など文化事業などの整備も行い、国力増強に努めた。

1759年、フェリペ6世が亡くなると、ナポリ王およびシチリア王であった異母弟カルロスが代わって、カルロス3世としてスペイン国王となる。 カルロス3世はスペインの啓蒙専制君主と呼ばれるが、啓蒙主義とはどのようなものであろうか。

啓蒙主義、啓蒙思想などと呼ばれるこの考え方は18世紀のフランスを中心に欧州に広がった革新的思想のことで、キリスト教などの伝統的権威から解放された理性によって、人類の普遍的進歩を図る思想である。啓蒙思想ではあらゆる人間は共通の理性があるとし、世界は理性によって認知可能であると考えられた。

カルロス3世は君主として優れた素質ではなかったとされるが、優れた人材を登用し、海軍を始めとする軍職の整備、マドリッドの再開発などの公共事業を行い、現代にも残る近代的な街並みを整備したのは彼の成果といえよう。カルロス3世はカトリック教徒ではあったが、啓蒙君主らしく国内の教会の勢力を抑制し、スペイン領土からイエズス会士を追放したことでバチカンとの緊張関係をもたらした。また農業生産の拡大が達成できず、食料暴動が国内で発生したのも彼の治世下である。

カルロス3世はスペイン王即位中にはイギリスと対抗するためフランスと同盟を組み、7年戦争が参戦している。戦争終結後、イギリス側に戦争は終結したが、スペインはフロリダを割譲した代わりにフランスからルイジアナを割譲されている。

遅れたスペインの社会経済のあり方を旧来の権威からではなく、啓蒙主義に基づき「上から」改革を行ったカルロス3世により、被差別的な仕事であった手工業活動と貴族の身分の両立、王立工場の建設なども行い、産業の拡大をはかった。しかしながら、依然として異端審問も廃止できず、啓蒙主義改革では旧体制の特権を覆す力がなかったのも事実である。

カルロス3世が亡くなった翌年1789年、フランスでは世界史で最も有名な市民革命が起こった。その革命の余波はスペインにも大きな影響を与えることとなる。

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