Spanish World

第65回 ペルーのシュリーマン、天野芳太郎

天野芳太郎(1898-1982)の名は学生時代知っていたが、後に仕事でペルーを訪れたとき、天野博物館(Museo Amano)を見学する機会を得た。天野氏は80歳の高齢にも拘わらず展示品を熱心に説明し、自ら発掘に当たったチャンカイ文明(la cultura de Chancay)に対する並々ならぬ愛情を示された。

第64回 エスペラントはスペイン語の従妹語?

エスペラントはユダヤ系ポーランド人のザメンホフが創った人工語である。彼は民族間の紛争は言葉が障害となって起こることが多いと考え、万国共通の言葉を作ることを決意した。1887年人工語を完成した彼はエスペラントと名付けた。Esperantoとは「希望する人」という意味。

第63回 Maiz(トウモロコシ)を食べつくす

小麦、米とともにトウモロコシは世界三大穀類の座を占める。グアテマラのマヤ系キチェ族の神話Popol Vuh(ポポル・ブ、マヤの創世記)によれば神は試行錯誤の末トウモロコシの粉から人間を作るのに成功した。それ以来、人間が命をつなぐのはトウモロコシとなった。日本には16世紀末ポルトガル人がもたらしたが、イモ文化圏の日本では薩摩イモほど普及しなかった。

第62回 マヤのカレンダーと2012年

マヤの遺跡はユカタン半島からグアテマラ、ホンジュラスまで広がるが観光の中心はユカン半島メリダの郊外にあるチチェン・イッサとウシュマルである。 とりわけEl castillo「城」と呼ばれるピラミッド(ウシュマル)の人気が高い。半島の根元にあるパレンケ(Palenque)は1952年発見の王の墓で有名だ。

第61回 俳句に見るスペイン語

学生時代に俳句をスペイン語に訳してコスタリカの文通相手に送ったことがある。句は芭蕉の「静けさや岩にしみ入る蝉の声」だった。「静けさや」の訳に悩んだことを覚えている。たぶんqué silencioとでも訳したのだろう。

第60回 Camino real 「王の道」

中南米や米国南西部には「王の道」と名のつく歴史街道がいくつかある。初めて王の道を見たのはPanama viejo(最初のパナマ市跡)だった。1671年、海賊ヘンリー・モーガンに襲撃され破壊されたパナマ市からペルーの金銀財宝をロバの背で大西洋岸へ輸 送した王の道(80キロ)がある。

第59回 中南米の呼称の変遷

丸い地球に表も裏もない筈だが日本人は地球の反対側の意味でよく地球の裏側という。地球の裏側とは一般的にブラジル、アルゼンチンを指す。つまり南米のこ と。「私はメキシコに駐在したことがある」というと「南米は暑いでしょう」と聞かれる。地理的にはメキシコは北米であり中南米に含まれない。14か国の独 立国のあるカリブ海も中南米の範疇から外れる。

第58回 聖人の名と都市名

コスタリカ国の守護聖人はSan José、ホセとはマリアの夫ヨセフ(ヘブライ語)のスペイン語名。”Mi linda Costa Rica”「我が麗しのコスタリカ」に歌われているように首都の守護神(Patrona)はホセの妻、聖母マリアなので夫婦で国を守っていることになる。

第57回 中南米の街路名

どんな道でも、たとえ取るに足らない裏通りでも名前を付けるのが欧米の習慣、中南米も例外ではない。大きな通りには当然歴代の大統領、独立戦争の英雄、革 命や戦勝記念日などがつけられる。しかし、大都会となれば市内を縦横に走る街路の全てに名前をつけるのは大作業となる。周辺部には外国の国名、通貨単位、 火山名などをつけ、名前負けしている小さな通りもある。

第56回 コスタリカの長寿村

世界の長寿村が話題になりカスピ海のヨーグルトが長寿の秘薬として日本に紹介されて久しい。コーカサス、フンザ(アフガニスタン)、沖縄、エクアドールの ビルカバンバ(Vilcabamba)などが長寿村として有名。最近これらのグループに仲間入りしたのがコスタリカのニコヤ(Nicoya)である。